乙武さんの一件は示唆に富みすぎてて論点が見えない
二日間、もやもやしてたのでまとめるためにも書く
この土日、すっごいモヤモヤしていて、なんかイライラしてたのですが、その理由がこれです。
乙武洋匡さん、銀座の「TRATTORIA GANZO」に「車椅子だから」と入店拒否される(追記あり)
これ、すっごい短絡的に、固有名詞を全部取っ払って話すと、「なんか店員が無礼だったので腹たった」って話です。
ところが、ココにいくつか追加されるキーワードによって、話が同時並行で4つくらい進んでいる気がして、またそれらが非常に「感情的」なので、どうにもイライラしてしまいました。
この話を受けて議論される点は4点、まとめに1つくらいかな、と思うのでまずはその整理。
- 全体の社会としてのお話
- 車椅子利用者など、何らかの障害を持った人は予約時に事前に連絡するべきなのか
- すべての施設は障害を持つ人を受け入れるべきなのか
- 個別としてのお話
- 総括として
- じゃあ、我々はどうするの?
って感じですかね。
ってことで、大体この4つの視点から、今回のことを眺めてみようかなぁ、と思いました。
社会的な話
まぁ、これは、おそらく、多くの場合、共通見解じゃないかなぁ、と思ってます。
障害を持つ人は予約時に連絡すべきか → 現行ではYesとしか言えない
まずは、一つ目。
障害を持つ人は事前に連絡すべきか、ですが、そりゃYesでしょう、と。
これを「No」と言うためには、「すべての店は障害を持つ人を常時受け入れることができなければならない」ということになります。
常時ですよ、常時。その整備は法でやらなきゃだめじゃないですか。
今だって法律はありますが、あくまで「努力義務」でしかありませんから、罰則はないんですね。
これ、バリアフリーだから理解が難しいんですけど、アレルギーの話だって同じじゃないですか。
例えば小麦アレルギーの人がいて、電話予約するときにそのことを告げずにお店に行って。
いざ、お店でメニューを開いたら、「全商品に小麦が入ってる!」ってなった時、お店に「小麦抜いて」なんて言えませんよね。
なので、事前に電話で確認しないとダメなんですよ。
お店の側が譲歩して伝えるべき、という考えも無くはないのですが、それを言い出すときりが無くて。
電話で予約するときに「お客様の中に車椅子など、お体が不自由な方はいますか?」とか「お子様は何歳程度で?」とか「何かアレルギーはありますか?」とか全部お店から聞いてきたら、「客の側が」ウザくて仕方ないですよね。
なので、お店も客もそんなの全部聞いてらんないから、客のほうからアナウンスしないといけません。
これ、結構当たり前だと思うんですけど、思いの外否定意見が多くてびっくりしてます。
すべての施設は障害を持つ人を受け入れるべきか → 理想はYes
次、すべての施設は障害を持つ人を受け入れる体制にすべきか、と言うと、そりゃーYesですよ。当たり前ですよ。
これをNoって言っちゃうのはあまりにもおかしいかな、と。
もちろん、「隠れ家的なレストランだから障害者を受け入れる余裕が無い」とか「すべての人を受け入れるとか言い出したらきりが無い」のは間違いないです。間違いないですが、それは「例外」であるべきで、「理想」は受け入れるべきなんです。
で、その理想を前提として、「じゃあこういう時は仕方ないね」って言う話に持って行かないとダメです。
最初から「仕方ないよね」って言っちゃうと、それは話が発展しません。
誰だって経験あるでしょう、例外の細かいところばっかり言い出しなんも方向性が定まらない会議とか。
出てて「時間の無駄だなぁ」って思いますよね。
なので、「理想として」あるいは「方向性として」どうあるべきか、って話を最初にするしかなくて。
その方向性としては、「すべての施設はオープンであるべき」でしょう。それ以上でもそれ以下でもない、と言う部分に収めないと。
ここを否定されてしまうと、ちょっと残念なんですけど。
私としてはここは理想として、そうあるべきだと考えないといけないんじゃないかな、と思います。
個別案件として
じゃあ、その前提から見て、今回の内容はどうなのかなぁ、という話。
今回の店主は乙武さんを受け入れるべきだったか → No、仕方ないよね
前述のとおり、「すべての店が障害を持つ人を常時受け入れる準備ができているわけではない」です。
そして、少なくともこのお店については「何らかの準備をせねば受け入れることができない」状況です。
その準備とは、要員の追加、店内レイアウトの変更など、いきなりできるものではないでしょう。
(写真見て分かるように、お店すごい狭いよね)
更に店主が降りてきたのは15分後、なんですよね。
それだけ忙しいんだから、運ぶのは基本的に無理でしょう。
じゃあ、周囲の客が連れてくることは可能なのか? と言うと、それまた難しいです。
このお店、お酒出してるんですよね。
- お店の中の人にお酒を飲んでいない人がいて
- その人が40kgくらいの人を運んで階段を昇り降りできるくらいには健康で
- さらにそれでいてそういう状況を快諾してくれる
そんなお客様を探さなければならないです。
もし仮にそれが上手くいっても、帰るときに同じ対応をしなければなりません。
つまり、乙武さんを運んで1階にお送りする仕事ですね。
そこまでできます? っていうとできないでしょう。
なので、私は、店主が手伝おうとした店員を止めたのは英断だと思いますよ。
店主の発言で人としての尊厳を傷つけられるような思いをするのは「車いすユーザー」なのか → 他のツイート見る限りNoじゃないの?
この店主の発言を見る限り、単純に「車椅子の人を差別するとかしないとか以前に配慮してなかった」に過ぎないのでは。
もちろん、無意識っていう刃はすっごい鋭利で人を傷つけるものなのですが。
だってこのまとめに紹介されている他の発言をそのまま鵜呑みにすれば「個人商店を営む頑固親父」以上でも以下でもないじゃないですか。
だから、今回(仮に)店主が乙武さんを罵倒したとしても、それは「事前に確認もせずに車椅子で来たこと」でありそれ以上でもそれ以下でもないでしょう。
店主にとっては「ちょっと荷物重いんで一階まで取りに来てもらって良いですか?」って言われたような感じで返したんじゃないですか? 詳しい状況が見えないのでなんとも言えませんが。
いずれにせよ、店主の発言の矛先は「乙武さん」であって「車椅子ユーザー」ではないのでは?
事前に電話で確認してたら「じゃあ○日ならスペース開けておきますよ」的な流れにできるでしょう。
「うちは受け入れるスペースありません、ガチャン ツー ツー ツー」みたいな感じでつっけんどんにされたら、それこそすべての車椅子ユーザーを罵倒していることになりますけど。
じゃあ、我々はどうするの? → 結局、個人が意識しないとダメなのでは?
今回の一連の流れで「気持ち悪いなぁ」って思ったことがひとつ。
こんだけお店に対しての批判が多いと、「だったら普段どれだけやってるの?」とか思っちゃうんですよ。ちょっと意地が悪いですけれど。
良く地面に点字ブロックあるじゃないですか。アレ。
アレの上にね、自転車が乗っかってたりするとすっごい迷惑だ、って良く言われてますよね。
なので、私はそういうのを見かけて、かつ、数分くらい空いてたら、できるだけ動かすようにしてるんです。
「仮に盲目の人が歩いていて、その場に誰もいなかった時に、何らかの事故が発生するのはイヤ」じゃないですか。
で、結構前の話ですけど、駐輪場も駐車場もないコンビニの前で、そういうのを見かけたので、自転車を動かしてたんですね。
もちろん鍵かかってたから全部持ち上げて動かしてたんですけど。
その間、通行人も、コンビニでバイトしてる人でさえも手伝ってくれなかったんです。
いや、もう諦めてますけど。
実際、手伝ってくれるのなんてごくごく一部なんですよ。
他にも車椅子の人が電車に乗り込んで来た人を一瞥して、その上で、車椅子スペースを譲らずにもっかいスマホに視線を落とす人がどれだけいます?
そういった日常的な部分の啓蒙すらマトモにできてないのに、いきなりお店に、それらの「普段のちょっとした心がけ」の何倍も難しい要求を突きつけるのは私はどうしても好きになれません。
まずは、自分の目で、実際に周囲を見渡してみてはいかがでしょう。
案外、「できてないこと」の方が多いですから、それらを先に解決していかないといけないじゃないですか。
そういう自省が今回の店主叩きや乙武さん叩きの流れの中に含まれていなくて、「なんでやねん」って思ってしまったり。
まぁ、この話を突き詰めると、「できてないこと」を謗るんじゃなくて「できること」を褒めていきましょうよ、という、なんともやっすい話に帰着してしまうので、そんな感じで終わりますけど。
ちなみに
知らなかったのですが、ココロのバリアフリー計画なんてものがあるんですね。
面白いなぁ、と思った反面、「東京で22件、大阪で2件か……」と思ったので、まだまだ認知度が低いみたいです。
こういうものの認知度が上がれば、個人の側面からいろいろフォローできて、なおかつそれが広がりやすくて良いなぁ、と思います。
あと、ベビーカーマークなんてものも国主導で動き出しているみたいで。
こんなかんじで、国の側からももっといろんな方向性を打ち出して欲しいなぁ、と思いますです。
少なくとも、今回みたいな「個人経営のお店をあげて批判する」と問題は「批判した人とそのお店単独の問題」になっちゃう。
それだと、やっぱり上の炎上みたいに「今回は仕方ないよね」とか「今回はアカンよね」って話にしかならなくて、なんの発展もないんですよね。
そうじゃなくて、こういう問題はもっと意図的に主語を大きくとって、「車椅子ユーザーにやさしくない店がたくさんある!」ってところから攻めないと、なんの発展もなくて、ただ燃えるだけ燃えて溝ができるだけ、って感じがして残念です。