(後輩に)伝えたい、この思い 【第三部: 責任は取るものです】

九割くらい私の責任なのであんまり書きたくない話

毎回書こうと思っていながら、「この話を掘り下げても面白い話にならないのでは」と思ったのと、「正直九割以上自分が悪いのでそれを客観的にどや顔で書くのも」って感じでちょっと躊躇していた話です。

後輩に伝えたい、って意味では多分これかなぁ、と思って。

責任を取ることが教育では一番大切、と考えています

私はOJTを何度か(片手で数える程度ですが)していますが、いつも強く意識しているのは、「最初のうちは失敗しても俺が責任を取るよ」って毎回伝えること、です。

例えば新人が遅刻した時に頭を下げるのは私の仕事ですし、スケジュールが遅延している時は私がソースコードを査読したりテストパターンをまとめたりする感じでフォローします。
もちろんその後新人に説教したりはしますが、その手前、「頭を下げたりスケジュールを回したり」っていうのは、教育する以上当然ですよね。
新人が残業することは可能な限り起きないようにするのがOJT担当の仕事ですし、それでも残業が発生するような現場であれば、「そもそもここでOJTをするべきではない」と上司に進言して、その新人を撤退させるように動いたり。

こんなもの、言うまでもなく、先輩としては当たり前の姿だと思いますし、OJTを担当する以上、できるできないは横に置いて、最低限このくらいはできるようになる、あるいはできるように意識しないとダメなのは自明でしょう。

もちろん、これだけできれば良いわけではなくて、「教え方に気をつける」とか「何でもかんでも勝手に自分でやりすぎないように」とか、「説明し過ぎない」とか、そういうのが無いと教育は成功しないのですが。
最低ラインとして求められるのは、「責任を取る」って部分です。
先輩として「新人の責任を取れること」ってのが最低条件だ、ってことですね。

ここで問題なの、この先輩像が、「当たり前すぎて新人に気付かれない」ことにあるようです。

責任を取らない後輩の話

なんか、私が教えた後輩だけかなぁ、とか思うのですが、どうも、「新人の責任を取る」ことがすっごい下手なんですね。

OJTを横で見ていたのですが、教え方はとても丁寧で、わかりやすくて、むしろ私が教わりたい! みたいな感じでした。
何かあったら叱るとか良くできたら褒めるとかその辺も上手くコントロールできていて、「これぞコーチングの鑑やでぇ」と目頭が熱くなったのですが、一点、すごいマイナスポイントがあって。
責任を取ってくれないんですよ。

OJT中にその新人が失敗して、私のところに謝りに来ることがあったんですね。
ところがその後輩、新人に謝らせて、横に自分が立っていることが「教育」だと思ってるんですよ。
「失敗が表ざたになる前にフォローできなかった」っていうのは教育担当者の責任なんだから、新人の謝罪や今後の計画よりも重要度が高いのは、「教育担当者が今後同じようなことが起きないようにどうするか」を考えることにあります。
新人の半泣きの謝罪後もしばらく観察してたんですが、どうにもなんかその後輩、ソコに気づいてないんですよね。
あれれー? と。

例えば新人が私に所に謝罪に来て、そこで更に失言をしたとしましょう。
そうすると、失敗の責任どころかなんか失言まで晒してもう大やけどするじゃないですか。
その新人は失敗を先輩に相談できなくなっちゃうんですよ。
先輩に相談しないから、もうその新人に仕事を回すことすらリスクになっちゃうんですね。
せっかくの勉強なのに、ビクビクしながらその新人は学ばなければいけないわけです。
これじゃあOJTとしては大失敗だし、このままでは現場デビューもかなり困難になりますよね。

なので、「新人の責任を取らない先輩」は、どんなに教えるのが丁寧でも、仕事ができても、どこかのラインで「仕事を任せられないなぁ」って思ってしまいます。
別に教育が全てではないのですが、「あぁ、きっと普段も他人の失敗の責任は取らないんだろうなぁ」みたいなことを考えちゃうんですよね。

集団責任社会システム

そもそも、即戦力を求めない傾向にある(新人をイチから鍛え上げる)目的をもった日本の会社は、先輩が責任を肩代わりすることで教育する、と言うシステムが構築されています。
そして、その教育システムが少し歪んだ形で、そのまま会社のシステムを作り上げています。

つまり、「責任はどんどん上位の人に回していくもの」という共通認識の上にシステムが成り立っているんですね。
部下の失敗を上司が責任を取る、と言う教育時のスタンスがそのまま会社全体に適応されているわけです。
それをダメだ、と言うことは簡単なのですが、そうすると、何故か「個人の失敗にのみ」フォーカスを当てた責任の取り方をやっちゃう。(つまり、失敗した人を左遷させるような雑なやり方)
「上司(≒組織)が責任を取る」前提で個人の作業範囲(≒責任範囲)が非常に膨大になりやすいシステムが構築されている今の状態で、いきなり個人に責任を求めると、そりゃー左遷くらいしか方法無いよね、って言う話ですよ。
それはやっぱりダメだ、ってことで、仕方なく、再度、「責任を上司が取る」形に戻しちゃってる、っていうのが今の形に見えます。

このため、「責任の取り方」の教育をしないといけないのですが、このシステムじゃあ責任を取らなければいけない局面が来るのって、大体2年目の終わりとか3年目とかなんですよ。
実力主義万歳!」とか言う若手に仕事を任せると、「責任が取れない状況に陥る」のはそういう原因でして、多くの場合、大やけどを負うわけです。
なまじ仕事ができるから他の人の作業とかもどんどん回せるし、「おおできんじゃん」って周囲もどんどんその人に回すんだけど、例えばそんな中で仕様に不備があったりすると、もう身動き取れなくなっちゃうんですよね。
「どうやってこのリカバリのプランを立てて説得するか」みたいな話ができなくなっちゃうんですよ。
間に合わないとして、誰に頼るのか、とか、そういう話が全然できない。だからズルズルと間に合わなくなって、その責任を取るための立ち回りもできなくて、ボロクソに怒られたりするわけです。私だ。

責任は、どんどん増えていく

上述の通り、日本型の社員教育のスタイルでは、新人のうちは、そもそも個人で取れる責任範囲が非常に狭いため、その大半を先輩が肩代わりすることで成り立たせています。
OJTで「自分の責任は自分で取るように」なんてことを教えられながらも、その責任の半分以上は先輩が負担することで「自分の責任」を学び、先輩が肩代わりしなくなったら一人前の社会人だね! みたいな扱いを受けるようになります。
もちろん、自分の仕事の全責任を自分で持つことができる人なんてなかなか居ないと思いますから、自分の仕事に責任を持つこと、それはとても大切ですよね。
ところが、ここまでやっても、当初その新人を教えていた「教育担当者」にはまだ及んでいません。
教育担当者が何をしていたかと言うと、「自分の仕事は自分で責任を取る」傍ら「新人の仕事の責任も引き受ける」ことで教育を成立させていたわけですから。

新人教育に関わらず、チームでの開発作業なんかになると、「スケジュールの遅れ」だとか「個々人のスキルギャップの対策」とかその辺りの「自分一人が頑張ったところでどうにもならないもの」の責任を取ることが求められるようになる局面はものすごい多いです。
それを避けたいのであれば、完全に一人で閉じた仕事を続けるしかないですから。

つまり、仕事を続けていくと、最初は「自分の責任を自分で取れるように」努力することが求められるのですが、そのうち、「後輩の責任を自分で取る」ことが求められ、最終的には「チームの責任を取る」だとかその辺りが求められます。
職位や経験年数に応じて、「責任」の範囲ってどんどん広くなるんですよね。

この「責任」を上手く取れないと、ちょっと大変だなぁ、と思いますので、まずは後輩が失敗した時には、責任を取ってあげてください、と言う話でした。

と言うか、責任の取り方のケーススタディをちゃんとできなかった私が悪いんですけどね……