目的を持つことだけでも教えたい

手段と目的

どんなことをするにも、「目的」ってありますよね。
で、今貴方がお仕事でやってる行為は、「手段」なわけです。
そんでもって、ものすごい当たり前なんだけど、基本的に「手段」は後から決めるものでしかなくて、先に決めるのは「目的」です。

最近ゲームばっかりしてます

例えば、格闘ゲームで俺より強いやつに会いに行きたい人の話をしましょう。
今の時代ならネット対戦もありますし、一流ゲーマーの世界では遠征に行ったりもしてますよね。
さて、そのうち、遠征だけをとっても、その経路や目的地、そもそも「誰と会うのか」まで考えなきゃダメですね。
ちなみに私はへたっぴなのでネット対戦をやると90%以上の確率で「俺より強い奴」に会えるので、気にしたことすらないです。
そういう意味では、へたっぴな私では発想のフィールドが非常に低次元なので、実は他にもたくさん選択肢があるかもしれません。


こんな感じで、「自分の視点で」見ると、手段の選択肢はすごい少ないです。

私のように、自分の周囲にいる奴らが既に充分すぎるほど「俺より強い」場合は、近所のゲーセンかネット対戦で事足りてしまいます。
そんな人にとって、「遠征してまで俺より強い奴を探す」と言う選択肢は意識の外側です。

同様に、「そもそも俺より強い奴が何処にいるか分からない」人にとっては、遠征と言う選択肢は「検討はしたが、実現できない」と言うことで、やはり選択肢から除外されます。
もちろん、「実現できる」場合、つまり、「俺より強い奴の存在を見つけた」時点で、遠征と言う選択肢は再び検討対象になるわけですが。

目的達成手段の3分類

格闘ゲームの例で重要なのは、「目的にいたるための手段には、大きく三つの選択肢がある」ってこと。

1.そもそも意識の外側にあるもの
2.意識はしているが、実現できないもの
3.実現可能なもの

このうち、「2.」と「3.」を並べて、「2.は実現できないから諦めよう」くらいはするでしょう。
努力家な人は、「2.を実現可能にするために」努力するでしょう。
でも、本当に重要なのは、「1.」にあったもの、当人の意識の外側を探すことではないでしょうか。

実現可能性はこの際どうでも良いのです。
手段とは、「目的を見るための角度の違い」によって変わるのです。
選択肢を増やすことは、そのまま「目的に対しての見識を深める」ことになります。

「そうか! その手があったか! できないけど!」って言う手段の中にこそ、目的に対しての新たな発見があるんじゃないかなぁ、とか思ったりします。

目的をちゃんと伝えたい

別に、これって、「自分の知らないことにも意識を向けよう」とか「新しい世界を見つけよう」とか、「ブレインストーミングやろうぜ」とか。
その一言で済む話なんですよ、うん。

でも、そんなこと言われても、自分の知らないことって、意識を向けられないじゃないですか。
って言うかそもそも順番が逆で、意識を向けられないから知らないんですよ。
なのに、「もっとたくさん知ろう!」とか言われてもハァ? って感じなワケ。

だから、意識を向けるための道具として、「目的」って言うのを持ってみてください。
目的さえしっかりすれば、いろんな人の意見を知ることができます。
いろんな人の考えや、意識、見解を知ることができます。

「自分の知っている世界」にある目標を実現するために考えていたら、「自分の知らない世界」の手法を見つけたんです。
今度はそれを足がかりに、「自分が知らない世界」へと突き進むことができるんです。
そして、その道も、いずれ「自分が知っている世界」に戻ってくるルートですから、そこまで大それた冒険じゃなくて済むんです。


いつにもなくまとまらない話になってしまった

と言うことで、今回はいつもにまして散文的で抽象的だったので、まとめ!
「自分が到達したい目標」があったとしたら、それを実現する方法に、「自分が知らない方法」があるかを考えてみてください。
自分が知らなかった方法を学び、吟味することで、到達したい目標の「新たな側面」が見えるかもしれません。
その方法によって見えてくる「新天地」があるかもしれません。
キッカケは、目標を立てることから。
それだけで、世界は広がる、かも?

私は、こんな考えで、後輩に依頼する時は、げんなりするくらいの時間をかけて、「目的」だけを教えるように心がけています。
まぁ、心がけているだけでなかなか難しいんですけど……