オレ様。をプロデュース

小説版は男の人をプロデュースしてたらしいっすね

以前、色んな就活生とお話するチャンスがあったので、その時に思ったことを。
まだ少量のサンプルしかないのですが、どうにも共通して足りないのは「セルフブランディング」ではなく「セルフプロデュース」じゃないかなぁ、とか思ったので、今日はそのお話をしようかと思います。

自分と言うブランドを作るためには、自分磨きをしたりとか色々しなきゃいけないと思うんですよ。資格取ったり。
それはそれでとても重要だと思うのですが、「学生だった自分」を思い起こすと、
自分磨きって大体ズレてるんですよね。
なんでズレてるのか、ってそれはすごい簡単で。
「実際に仕事に身をおいた自分」がリアルに想像できないから。
当たり前だよね。
だから、学生時代にやった数年の努力って、社会人になってからやる半年の努力に劣ったりしちゃうんですよ。

ということで、最初から完全に方向性を絞った素晴らしいセルフブランディングができる人ができる人は今回の話の対象じゃないよ。
ということで、まず最初に必要なのは、「自分の見せ方」ではあるまいか、と思うんですね。
もちろん、本来的な意味での「セルフブランディング」って、そういう自分の見せ方にも着目しなければならかなったと思うんですけど。
どうにも、違うんですよ。なんだろう、この言葉にできない違和感、というか?

鏡を見て、どの角度から見たら一番イケメンに映るか、とか。
どういうメイクが自分に似合うか、とか。
「どうすれば自分が輝くか?」って言うのが足りてない気がするんです。
他の、輝いている人の横に立って、「俺ってば輝いてるゥ!」って思ってる人が多いんですよね。
あるいは、「SK-IIを使ってるから俺ってば湯上り卵肌ァ!」でもいいけど。

それがなんなの?

特に印象に残ってる残念さんは、「やったことを順番に並べる人」でしょうか。
そういう人は、とてもきらびやかな印象を受けるんです。一瞬だけ。
「TOEIC750点です」とか、「基本情報持ってます」とか、「バイトをたくさんして社会を学んできました」とか。

ところが、ココから少しズレてですね。
「で、それがどうすごいの?」って言う質問に波及すると、途端に答えられなくなる。
色々言葉を尽くして頂いてるのは分かるんですけど、一言でまとめると「だってすごいじゃないですか」って感じなんですよね。

例えば、TOEIC750点の人であればこんな感じ。
私「TOEICの得点高いけど、海外に行きたいとかは考えたことがあるの?」
相手「いや、あまり」
私「え、じゃあその語学力を使って、例えば私に今海外で話題になっているニュースの話とかはできますか?」
相手「いえ、TOEIC750点って言っても、あんまり英語力にはつながらないんですよね」

素直で良いかもしれませんが、「じゃあなんで『TOEIC750取りました』って言っちゃったんだろうこの人」って感想が先に出てきちゃうんですよね。
これだと、私の印象は、「TOEICで750点を取った」としか残らないわけです。
つまり、TOEIC900点の人が現れたら、この人はその時点でアウトってことになるのね。
TOEICの得点」以外の尺度を提示できないから。
それってすっごい不幸だよね。
ナンバーワンよりオンリーワンとか色々ありますけど、「TOEICの得点」と言う一次元の指標では、基本的にナンバーワン以外に勝ち目はない。
だから、オンリーワンを目指すのであれば、TOEICの得点だけじゃない、付加価値が必要になるわけですよ。

ここまでは結構みんな気づいてることだと思うんだけど、その「付加価値」を深く考えすぎなんですよね、みんな。
例えば、「なんか面白くて受けているだけなので、次は850点目指してます!」
って言うだけでも良いんですよ。
こうすれば、「他に何か興味ある資格とかないの?」って話にも広げることができるし、「いやぁ、マークシートをぐりぐり塗るのって楽しいじゃないですか!」とか話を広げることができます。

「ハリウッド映画を字幕なしで見たかったので勉強してましたが、あんまり役に立ちませんでした!」でも良いですよ。

いずれにせよ、「それをやろうとした目的」だったり「持っているスキルの使い方」を知りたいんです。
それがつまり、私が言っている「セルフプロデュース」ね。
この部分が足りないと、やっぱり、話を聞いていても、引き込まれないし、面白くないんですよ。

一番大切なのは「面白さ」だと思います

たかだか数十分の面接で決まってしまうというのはなかなかに残酷なので、その意味では面接をしている人はすごい悲壮な覚悟で受けてるのかなぁ、とか思ったりします。
説明会に来る人も、結構そういう雰囲気の人がちらほら見受けられます。
なので、どうしても、冒険したくない、減点されたくない、と言う話になってしまうのは仕方ないと思うんです。
そこで「我流」を貫くのってすごいリスキーだし、ウケなかったら家に帰ってから枕に顔をうずめてバタバタやるだけじゃ済まないわけだし。

でも、少なくとも、うちは小さい会社なんです。
うちにどうこう言われたって、その人の経歴もプライドも傷つかないと思うんですよ。
仮に落ちても「あんなちっさい会社、こっちから願い下げじゃ! 死ねボケ!」って思えば良いじゃないですか。
なので、私は、できるだけ、冒険して欲しいなぁ、と思っていますし、可能な限りその思いが伝わるように話をしています。
ということで、私の中の判断基準は、「その時間、面白い会話ができたか?」の一点だけにしよう、と。

そもそもペーパーテストで一定以上の得点をたたき出した人を面接対象にしているんですから、「紙で分かる相手の知能」って評価対象にしても意味ないじゃないですか。
更に言うと、一昔前に流行ったフェルミ推定とかそういうのも、あまり求めすぎてはいけない、と気をつけるようにしてるんですね。
私は批判的なタイプの人間なので、そういう、「一定の基準で採点が可能な」問題を出してしまうと、その時点で「採点者モード」になってしまうからです。
採点者モードになる、ということは、本当は、「今、できるかどうか」なんて全然重要じゃない問題なのに、それを(自分の中で)重要な問題にしてしまうので。

だって、「今、できる人」を募集するんだったら、新卒じゃない方が絶対良いんだから、それは評価対象にしてはいけないんです。

まずはお友達から

ということで、話は最初に戻ります。
欲しい人材って、つまり、「自分の姿を演出できる人」なんですね。「自分のキャラを分かってる人」と言い換えても良いです。
そしてそれをしっかりと周囲に伝えてくれる人が欲しいんです。
どんなに周囲が訓練させても、会得できないからこそ、大切なんですね。
(こういう演出技術は当人が意識して訓練すれば会得できるものだと私は思いますよ)

多分、それは、うちの会社の社風としてもそうだと思っています。

そして、その個性が、【自分たちにとって】心地よい人が欲しいんです。
言い方は変ですけど、友達になれそうな人が欲しいんです。
だから、一次元の評価ではないんですよ。
「ああ、一緒にやったら楽しそうだなぁ」って人が良いです。私は。

もちろん、本質的には友達じゃないので、「あぁ、こいつウザいけど一緒にやったらきっと新しい発見があるだろうな」って人とか、「あぁ、こいつとは絶対美味しい酒は飲めないけど一緒に仕事をしていたら仕事を任せやすいな」って人でも良いんですけど。
結局そういうのをぜーんぶひっくるめて、自分たちにとって心地よい人、を探しているわけです。

ということで、まずは自分を「盛り方」んじゃなくて、自分の「魅せ方」を学ばないとね! と思うのでした。