別に答え合わせは要らないよ

私、クイズゲーム好きなんです。

Answer×Answerとか。あ、QMAも好きでしたが、なんとなく問題にマニアックさを感じたことと、ある一定のラインから絶対に勝てない感じがしてやめました。

で、なんでクイズゲームが好きかって言うと、ほんの十数秒で、自分の知識を「答え合わせ」できる楽しさがあるからなんですね。
私にとって、クイズゲームの面白さの中心は、「答え合わせ」にあるんです。
知らなかったときの「へー、そうなんだー」って驚きとか、知ってたときの「ほら、やっぱり」って言う自尊心が満足する感じでしょうか。
これって、普段、生活しているとあんまり得られない楽しさなんですよね。

普段の生活で思うのは、どちらかと言うと、「結局どっちなん?」って感じのすごいもやもやした感じが多いわけです。
お昼ごはんに何を食べよう、って話一つで、10分でも1時間でも話ができちゃう。
その上、どれを食べても、「あっちの方が美味しかったかも」って思ってしまうかもしれない。
つまり、自分の選択に対しての「答え合わせ」ができないのです。
視点を変えたときの驚きとか、新たな発見とか、そういう楽しさはあるかもしれませんが、それは「答え合わせ」じゃないんですね。

ところが、どうも、学校の授業では「答え合わせ」があることから、生活の世界や、仕事の場でも、答え合わせがあると思ってる人が多いように感じます。
大丈夫! 無いから!
ということで、今日はそんな話です。

部分点って嫌いでした

学校でやる数学には、いわゆる「完答で20点」みたいな、計算過程も求める問題が多くあります。
例えば、「計算過程が合ってたら部分点」とか、そんな感じで。
採点をしてしまう、ということは、計算過程についても、「正解か否か」が存在する、と言えます。
この例であれば、計算過程の部分の正解は1つじゃないのですが、それでも、「模範解答」と言うものが存在しているわけで。

模範解答以外の答え、って言うのを評価するには、かなりの数学的な素養が必要になるわけで、結果として、そもそもそれが正解か否かを判断することすら困難なんですよね、採点者からすると。
つまり、「こうした方が簡単なのになぁ」って思ってても、模範解答と解き方が違うって理由でなんか微妙に減点されちゃったりするんですよ。
私も最終的に模範解答に屈した側の人間です。それが理由で、数学が嫌いになりました。

で、そういう採点にさらされているからなのかなんなのかは知らんのですけど、どうも、社会人になっても、模範解答(=誰かが提示する唯一の答え)があると思われちゃうんですね。
いや、私的な回答、とかはあるけど。それは万人共通の回答ではないじゃないですか。
私は、基本的には、その人が分かりやすいと思えるもので、なおかつ、その過程に沿って説明できれば良いと思っているんですよ。*1

そもそも不正解も無いよ、多分

元となる資料を一つ作っておいて、「このフォーマットで資料を作っておいて」ってお願いをすると、なんかこう、「どうやってやるんですか?」って聞かれるんですよ。
「そことそことそこに情報があるんだからできるでしょ」と伝えると、「どうやってやるのかわからないので」などと仰るわけです。で、「具体的にどこが分からないの?」って聞いてみると、「どうやって編集するか分からない」って感じで。

その時の依頼は、なんか個別に挙げられている管理票を、一枚の紙にまとめて欲しい、ってだけの話なんですよ。
で、一番下に「想定工数合計」の欄があるので、そこに合計を入れるような式が書いてあるだけのEXCELのアレです。

もちろん、「何の目的の資料なのか?」は伝えるように心がけているので、最終的に必要なのは「全ての予定工数合計」と、「作業担当者ごとの予定工数合計」、そして「担当者未決定の予定工数合計」が必要なんですね。
(本当は期日とかも綺麗に見たいのですが、まずはこの時間が見えないと次に来た作業の期日の交渉ができないことや、その後輩に回す開発作業をどう捻出するかの観点から、こんなものを作ってました)

ということで、まずは、個別に送られてくる管理票を見ながら数字を入れて行って、つまづいたら、「コイツの書いた管理票に期日の欄が無いんだけど」とか質問してくれれば良いんです。
だから、着手前に疑問に思うところって、基本的には無いんです。こっちが渡したフォーマットに間違いがない限りは。

仕方ないのでとりあえずやり方を考えてもらうことにしました。
で、10分後くらいにやり方を説明してもらいまして。
まぁ、なんとなく粗はあるけど、おおよそあってるので、「そのやり方で進めてみて、またつまづいたら一緒に考えようか」と伝えたんですよ。
でも、その人は、その答えに満足してくれないんですね。
「自分が提案したものが100%の正解」だと言う保証がないと、やりたがらないと言うか。
いや、管理票の集計なんて、失敗したって、私が責任取るよ。直すよ。
後輩のスキルが分からない段階でそんな「手戻りが発生したら全員残業」とか「失敗したら各部署への土下座めぐりツアー」が必要になるような作業をお願いするわけないじゃないですか。
色々と後輩からは恐れられていますが、流石にそんな作業をお願いするほど鬼じゃないです。
なので、まずやって欲しいんですよね。

答え合わせは、数年後にできます

なんというか、極端に「手戻り」を嫌うというか。
あるいは、後から質問したら無能だと評価されるかも、とか思ってるかもしれないけど。
普通は、質問するコトじゃなくて、質問の内容が評価対象なワケですよ。
「考える」っていうのは大切じゃないですか。
私は自分の後輩を深沢コピーとして育てるつもりは皆目無いので、「深沢のやり方」は「深沢のやり方」で終わらせて欲しいんです。
参考までに教える、程度なら良いのですが、その通りのモノを作ってこられると「だったら私がやるよ」って話になるし。
もちろんこの話は「答えがある作業」には適用すべき問題では無いんですが。

しがない先輩としては、「とりあえずやってみて欲しい」のです。
失敗したら色々怒るけどフォローはするし。
その失敗を上司にチクって「アイツだめだよ、辞めさせようぜ」とか言うつもりはないし。
先輩の仕事って、「失敗させること」じゃないですか。
ってことで、「まぁ、やれよ」って言いたいわけですけど。

でも、それって、難しいのかなぁ、と最近ようやく思いました。

でも、やって欲しいなあ

ということで、この最後の疑問である「『とりあえずやる』前に聳え立つハードル」問題については未だに答えは出ていません。
なので、この答えは、ちまちま考えていこうかなぁ、と思っている議題であるのですが。

こんな感じで、私としては、「失敗しても良いからやって欲しい」なぁ、と思うのです。
やってみて、「自分が思っいた以上の成果」が出るかもしれないし、「ちょっと時間はかかるけど、確かにそれでも正解」って答えだってあります。
そもそも、私の思う「答え」は必ずしも万国共通のものではない以上、「まずは貴方の答えを見せて欲しい」としか言えないんですね。

だって、結局、そのやり方が良かったかどうかなんて、もう一回同じ作業をする時とか、数年後に資料を読み返した時とか、そういう時にしかできないじゃないですか。
つまり、大げさに言えば、答え合わせなんて最初からできないんです。
だから、まずはやらないと意味が無い、と思ってるんですね。

ただ、どうにも、それをうまく伝えられないんですね、私が。
「気がつけばお願いした作業のほぼ全部私がやってた!」みたいなことが何度かあって。
どうにも、そういう、後輩の失敗をコントロールする技術がまだまだ不足しているようです。

なので、周囲に「もっと失敗しろよ!」とか「とりあえずやれよ!」って求める前に、先輩である私が、「大丈夫だよ!」って準備してあげる必要があるんですよね。
ちょっと、その辺の精進が足りません。精進します……

*1:もちろん、「私にとって」分かりやすい説明だとうれしいですが、それは答えの押し付けになるので今日は横においておきましょう。