(後輩に)伝えたい、この思い 【第二部: この社会は結果主義ですが、過程も大切にね】

間が開きました

この辺りのネタは会社で時間が空いた時にメモに書き溜めていたのですが、そのメモを会社に置きっぱなしにしてました
自分の中で風化しつつあるのですが、ブログって言うのは「自分の中で風化しても残る」から面白いのだ、と言うことでこのネタは続けようと思います。

世の中は結果で評価します

仕事をしていると、「あぁ、結果主義なんだなぁ」って言うのはヒシヒシと感じます。
ここで述べる結果主義、と言うのは、「求められるうちの最低限の結果を出さない限り、評価対象とすらならない」と言うことですね。

例えば、「美味しいカレーが食べたい」って言う要望があったとしましょう。
「美味しい」って言うのは主観的な部分であり、この時点では難しいので、まず求められている仕事は「カレーを出す」ことになりますね。
ポイントは「カレーを作る」じゃないってことですね。
「たまねぎを買ってきて、カレー粉を準備してアレコレ時間をかけてカレーを作る」ってことだけが正解じゃないわけです。
なので、美味しいカレー店を紹介しても良いですし、レトルトカレーを買ってきても良いってことになりますね。
そして、「カレーが客の前に出されて、そのカレーを客が食べた時点」で、ようやく評価されます。
100円のレトルトを渡して「これはあんまり美味しくないよー」とかなんとか。

と言うことは、全然料理できない人がものすごい頑張って、それでもカレーが作れなかったとした場合、それは評価されない、という意味になります。
「すごい料理頑張ってたもんねー、カレーできなかったけど仕方ないねー」って話にはならないんですね。
これが、最初に受ける衝撃ですね。

過程が報われないのは空しい

大学、特に院生なんかであれば別ですが、学校には「努力を認めて、評価する機能」として先生が存在しますし、「努力を認めて、評価すべき」と言うルールがあります。
言い方を変えると「得点や宿題の採点結果などの目に見えるもの(=結果)」のみではなく、「目に見えない個人の努力(=過程)」を意識して評価しましょう、ってことですね。

ところが、会社には、「努力を認めてくれる存在」がとてつもなく少ないです。
カレーの例であれば、先輩の気持ちとしては、「美味しいカレーを食べてもらおうと慣れない料理に挑戦した人」を評価したい時もありますが、仕事として見た場合、後者を評価せざるを得ないんですね。
そこを評価しても(短期的には)収益を上げられないためです。
カレーを欲しがっている「顧客」の目には「ただ時間とお金を浪費しただけ」としか見えませんから。

この「(目に見えない)努力を認めるシステムが無い」状態で努力をするのって、すごい空しいんですよね。
私だって、炎上プロジェクトに巻き込まれたら「したくもない残業をして、それでも間に合わなかったんだから、まずは残業で必死に間に合わせようとしたことを評価して欲しい」って思ってしまうわけですし。
ですが同時に、「たくさん残業する方が良くできる、って風潮は間違っている」と考えてますから、結局私も「結果で評価する」世界の住人に過ぎないわけです。
同様の価値観は、新人も持っていますし、だからこそ「残業をしないことが正義」と言う価値観が広がりつつあるわけですよね。

覚えておかねばならないのは、「目に見えないものを認めるシステム」と言うものは、学校教育くらい強固なルールを作らねば、すぐに(人間の感情によって)瓦解する、と言うことです。

もちろん、新人「教育」ですから、教育の間はある程度過程も評価対象になる、と言うか、過程を評価対象とするフリをしているので、あまりこういうことは言えないのですが。
会社に入ると、「結果さえ出せばある程度、過程は問わない」と言う前提は「適切に手を抜く」上でとても重要です。
ここを忘れてしまうと、過程が報われないことになり、どんどん苦しい思いをすることになってしまいます。

自分のことくらいは「過程」で評価しましょう

と言うことで、社会に出ると、いきなりコレまでとは違う評価基準を叩きつけられるわけです。
評価してくれる人が全て、貴方の努力まで見てくれているわけではありませんし、努力しているからと言って低品質であればダメなんですね。
そんな殺伐とした評価基準に晒されると、「結果【だけ】を求める」ことになるのは仕方ない流れかと思います。
ただ、結果だけを求めてしまうと、よほどうまく立ち回らない限り、「自分がやりたいこと」からどんどん遠ざかってしまいます

結果とは、「誰からでも見えるもの」であり、「評価して欲しくなくてもみんなが勝手に評価するもの」です。
それはそのまま給与に響きますし、昇進にも響きます。
このことから、どうしても私たちは自分の行動にすら結果を出すことを求め続けてしまいます。
ただ、結果は、「目に見えるもの」ですから、「誰が評価しても類似した結果になる」傾向があります。
即ち、「自分自身の評価を結果で評価する」とは、「評価基準を外部に置く」ことに他なりません。

私たちは結果で評価されることからは逃げられないのですが、だからこそ、「自分の努力は自分が認めてあげる」ことが大切です。
「努力したけれど結果が出なかった時」は、自分を褒めてあげてください。
あるいは、「結果は出たけれど、自分の求める過程を踏めなかった場合」は、外部の評価に甘えないで下さい。
私たちの評価はどうあがいても結果と言う束縛から逃れられない以上、その束縛から解き放てるのは「自分自身」しかないので。

結果を求めすぎないということ

例えば、「残業をゼロにしましょう!」って言う努力目標があったとしましょう。
「仕事量を減らす」か「仕事を早く終える」かの二つのアプローチがありますね。
まぁ、簡単に仕事を早く終えることができるようにはならないので、仕事を減らす方向へと進まねばならないでしょう。
と言うことは、無茶な仕事が来れば残業はゼロにできません。
この時、「結果だけを求める」人の多くは、無茶な仕事を単純に断るだけで終えてしまいます。
過程を無視しているんですね。

無茶な仕事と言うのは、それをせねばならない背景がある場合や、あるいはそもそも仕事をする人のスキルが圧倒的に不足していることで「無茶に見える」場合など、様々な理由があります。
そのため、残業をゼロにするために本当に必要なのは、「スキルアップ」であるとか「要員追加」であるとか、あるいは「仕事の見直し」になるはずです。
そこにまで意識が向かっていない「残業ゼロ」は、直近の結果としては良いかもしれませんが、継続的に結果を出すことが困難です。

最初のカレーの例であれば、「美味しいカレーを出してくれるお店を誰かに聞く」のが一番手っ取り早い方法で、その方法を取れば結果は出るのですが。
仮にそのカレーを美味しくない、って言う人が出たときの対策として他にどんなお店が提案できるか、とか、「他に美味しいカレーは無いの?って話になった時に、どんなカレーが出せるかって言うのは、日ごろから調査したり色々な人の話を集めたりしていないと出せませんよね。
この一手こそ、「日ごろ、結果以外の部分でどれだけ努力したか」がものを言う瞬間なんですね。

そういう意味でも、「自分だけは、自分の頑張りを褒めてあげる」と言うのはとても重要なことです。
イヤになるくらい結果主義の社会ですから、自分くらいは、心のオアシスになってあげるべきですよね。

あ、でも、給与は結果に対してしか支払われませんから、「自分の頑張りを周囲に認めてもらう」って言うのはちょっと無理なのですが。
だからやっぱり難しいんですよねー。

かっこいいプログラマが欲しいなあ

定期的にもやもやする

なんか定期的にプログラミングの話が出てきて、そのたびになにやらもやもやします。
今回はそのモヤモヤを解消してくれそうな感じの記事があったので、その紹介と思うことをば。

プログラミングはそれ自体が目的であっていいって話。

とても理解できます。
プログラマって、もっと適当で良いと思うんですよね。
「理論的に」じゃなくて、もっと「感情的に」伝えたほうが面白いと思うんですよ。
ということで個人的には最初の方にあった以下の部分を広げて欲しいなぁ、とか思います。

僕がプログラミングをはじめたとき、何を思ってプログラミングをはじめたか思い出してみようとしたけど、よく思い出せなかった。
ただ漠然と感じていたのは、プログラミングは個人が現実的にこの世界に直接手を加えることができる手段の1つであり、それをやらないのは勿体無い、といったことだったと思う。たぶん。

どうも、プログラマを目指す人に書いてある記事って、「書いてある内容を読む」ために求められる前提の知識に非常に高い専門性が要求されすぎてしまっていて、どちらかと言うとこの話は「既にプログラムをガンガン組んでいる人に向けての言葉」という気がします。
プログラムに興味がある人が読むには、あまりに難しいんですよね。
「興味があったら調べてみてね」って言われても、それ調べたら多分わけわかんない言葉沢山でてきてプログラマ諦めるんじゃないか、みたいな。

プログラマの世界は、どんどん専門家が進んでしまった結果、「浅い部分は素人でもできるし、深い部分は職人にしかできない」二極化が進んでますよね。
鍛治職人みたいなもんで、職人はひたすら自分の技術の高みを目指していて、その技術が分かる人からすれば大金を積んででも欲しいものを作り出す、みたいな一つの「芸術家」です。
で、浅い部分は機械化が進みまくった結果、誰でも適当に作れて、今や包丁なんて100均でも売ってるじゃないですか。

職人の世界の商品は「その重要性を理解してくれる人」がいなければ、不要になってしまいます。
特にこだわりが無ければ、その辺で安く売っている包丁を買う、と言うのと同じですね。

最近、プログラマ以外がプログラマに対して職人であることを要求していない気がする

100均で売っている包丁でも、最低限の料理は事足りますよね。
切りにくいし、カボチャどころかたまにニンジンすら切るのが危うかったりするんですけど。
でも、まぁ、ある程度料理できるわけで。

そういう人たちにとって「包丁」って魅力的なものじゃないし、「刀鍛治」にいたっては存在意義が分からないわけです。
「なんであんなあっついとこでカンカンやってるわけ? マシンで適当にできんじゃん」みたいな。
もちろん、過去の刀鍛治の不断の努力の上に100均包丁が成り立っているのですが、100円で包丁を買うときにそんなことを考えている人は、「包丁」に魅力を感じる人たちだけです。
もちろん、日本刀がカッコイイ! とか刃物カッコイイ!って人も結構いますよね。
私たちの大半は包丁を作ることはできませんが、良い包丁に感動する感受性を持っている人は一定数いるわけです。(あ、良い包丁を持つと奇声をあげて喜ぶような人はお帰りください。)

刃物とプログラムの違いで一番大きいのが、「良いプログラム」にあこがれる人は、「プログラムを作る人」だということなんですよね。

多くの場合、「完成品を使うユーザー」が「プログラム」ってものに魅力を感じていないから、酷いプログラムでも気にしないんです。
綺麗なコーディングに「美しさ」を感じることができないし、もっと言えばプログラマ、と言う生き様に「かっこよさ」を感じ取ることができない。

一番最初の記事(プログラミング勉強したいんだけど、どこから手を付けたらいいの?)だって、この人の目的は「アプリを作ること」だからプログラマになる必要なんか無くて、アプリ作れるツールであったり、そもそも設計する部分だったりが必要ですよね。
「家を建てたいんだけど大工技術の勉強はどこでできるん?」って言うのと同じで、別にこの人プログラミングができるようになりたいってわけじゃないじゃないですか。

プログラマって、結局その程度の扱いをされてしまってるんですよね。

ユーザーは「かっこよさ」にこそお金を払いたい

プログラマとしては「プログラムを面白いと思うんだったら組めよ」ってスタンスを取る事が多いじゃないですか。
なので、私たちは後輩に対して「プログラマを目指す貴方への技術論」をついついぶちまけちゃう。
でもそれって、門外漢を排除するだけにしかならないんですね。いや、「それに興味を持ってくれないような人は要らない」ってのも分かるんですけど。
難解な横文字とアルファベット略語の地獄を読んで「面白そう」って思えます? 「うおおかっこいい!」って思えます?

刃物の例を引っ張りますけど、日本刀の話をするときに物理学の観点から延々と「何故堅いのか」とかそういう話をしてるのと同じで、そんなん聞いても楽しくないじゃないですか。
だからこそ、日本刀の学問の話は、必ず最後に「この原理が解明される前から、刀鍛治職人は、肌でそれを理解していたのだ」みたいなフォローを入れてるんですよ。
この一言があるおかげで、「うおおお刀鍛治職人かっこいい!!学問の壁を越えた!」って思うワケでしょ。
理論に裏打ちされていても、その理論を度外視して、単純に「かっこいい」感じに作られているんですよ。

スキルの高さって言うのは「頭」で理解するんですけど、かっこよさってのは「心」で理解するわけです。
で、「心」で理解したものの方が高尚だ、と言う風潮が非常に強いわけです。
少なくとも、ユーザー側は。

プログラマ、と言うか、理系、と言うか悩むところですが、そういう学問に傾倒している人の一部は、「頭で理解することこそ重要で、心の理解なんてどうでも良い」と言うスタンスの人が多すぎる。
それでは、地位なんか向上できないですし、誰もついてきてくれないんですよ。

かっこよさとは、「門外漢が喜ぶ」もの

ということで、プログラマに憧れている人って、既にある程度プログラミングしている人ばかりなんです。
そして、そういう「ある程度プログラミングができる人」に対してしか語る言葉を持たないし、提示する結果を持ち合わせていない、と言うのが、今のプログラムを取り巻く状況でしょう。
結果的にプログラマの何がすごいかわからないとか言われちゃうし、仕事で消極的にプログラマを選んでいる人なんかゴロゴロいて、その人達を発起させる事ができません。

でも、「門外漢に伝えるプログラムの話」ってとてつもなく難しいんですよね。
情報技術が進歩したためか、「プログラム」というものをユーザーは感じることができません。
プログラムそのものって目に見えない上に、今の時代、「目に見えるようにする程度ならば、プログラミング技術をほとんど必要としない」ですし。

漫画とか、視覚的に、見た瞬間「すげえ!」ってなるじゃないですか。
音楽だってそうで、聴いた瞬間「やべええ!」ってわかるよね。
だから学生は弾き語りしてみたり漫画を描いてみたりしちゃうんです。あばばばばば(思い出したくない過去を思い出した)

もちろん、職業としてプログラマをやっていると、「機能追加依頼があったけどソースがクソすぎて拡張できそうにない」って経験はまぁよくある話でして、その経験があるからこそ、我々はソースコードは美しく書こうとするし、パフォーマンスも考えようとしています。
ところが、多くの場合、これらの問題を体感するには最近のコンピュータは進歩しすぎています。
プログラムを感じる機会ってどんどん減ってるんですよね。

それがゆえに、かっこよさを伝えようにも、結局「技術の話しかできない」ので、どうにも野暮ったい、かっこよくないプログラマが量産されちゃうんです。
だからプログラマの地位が向上できないんですよね。
100均の包丁でも5000円の包丁でも同じじゃん、って言われちゃうんです。

と言うことで、私が「プログラマ」を目指す人たちに言いたいのは、勉強とかそんなもんどうでも良いので、「プログラムを知らない人に評価されるプログラマ」を目指して欲しいと思っています。
つまり、かっこいいプログラマです。

そのために、私たち先輩はできる限り、後輩に「ほら! こんなにできるんだよ! すげー!」って感じで、面白い部分を話すようにしていかないとね、と思うのでした。
教育する時は出来る限りこのあたりの感動を伝えようといろいろ手をつくしているのですが、なかなかうまく行かないですね。

誰かかっこいいプログラマを紹介してください。
むしろ弊社で公演してください。

ちなみに

私がプログラマになったキッカケは、とてもネガティブなものなので、あまり人に言えるもんではなかったりします。

補:すごい沢山反応があってテンパっています

なんか予想をはるかに上回りすぎる反応に、少しどころではなく驚いています。
仕事から帰ってきてパソコン開いてビビったのです。

私は業務系の保守(私は設計担当ですけど)をしているのですが、プログラマのモチベーションを殺すユーザーがあまりに多すぎる上に、プログラマのモチベーションを削ぐプログラマも多すぎる、っていう現場の空気にちょっとぐったりしています。
例えばユーザーからの電話とかを聞くと、「こんなんすぐできるでしょ?」みたいなことを簡単に言ってくるわけですよ。「貴方ほどのレベルがあればすぐに出来るよね」という良い意味ではなくて、「お前程度のスキルでも適当にできるでしょ?」ってトーンで。
その時点で既にローテンションなのに、プログラマ上がりのはずのプロマネも、「そんなん適当にコピーすりゃできんじゃん」みたいな、「なんでできないの?」っていう立場で話してくるんですよ。
もうプログラマのやる気なんか一瞬で地の底ですよ。
ただでさえ数年前に中国人が組んだコメントが「変数代入する時」みたいな意味分かんないif文の説明してるヤツを改修するってことでテンション低いのに。

こんな状況では、プログラマは適当に仕事をこなそうとしちゃうし、周囲はそんな姿を見て「やっぱプログラマなんて所詮一山いくらみたいなもんだな」って思ってしまう。
他のプログラマも、「さっさとプログラマを辞めよう(=SEになろう)」って話になるんですね。

こんな話はネットで良く見る話ですし、その辺の現場でも実際良くあるかと思うのですが、そんな状況ばかりではプログラマが報われないと私は思うので、プログラムを楽しんでいる人を私は助けたいし、そういう人は「楽しさ」を沢山語って欲しいんですよね。
その「楽しさ」がいずれプログラマ以外に伝わるようになれば、プログラマの評価は上がるだろうし、そうすればもっと楽しい仕事になるのになぁ、と考えています。
だから、勉強は横に置いておいて、「プログラマ以外に評価される人」を目指して欲しい、というのが私のスタンスですし、出来る限りそれができるようにはフォローしたいと考えています。

仕事ができそうだなぁ、って人の話

ちょっと気になったので

後輩に伝えたい話をあと二個くらい書こうと思っているのですが、なんか伝えたいことがありすぎて何回書きなおしてもモヤモヤしていたので、今日は違う記事を書くことにした。

多い気がする

「あ、この人、仕事できるんだろうな」って思う9つの瞬間って記事が話題になっていたので読んだのですけど、ぶっちゃけ2つくらいで良い気がする、という話。

いや、個別に分解するとこんなかんじなんだけど、ハタから見ていて「あぁ、この人は仕事ができるんだろうなぁ」って思う所って、もっとぼんやりしていて、だけど結構あからさまなものだと思います。
大体二つですね。二つ。

  1. その人の発言によって、場の空気を良くする人
  2. 質問された時に、質問者を見ながら話ができる人

ってことで、「仕事ができる」って「対人関係で持つ説得力」だと思うのですよ。
この二つはコミュニティの中で力を発揮するタイプなので、ちょっと「仕事が出来る」って意味が違うかなぁ、とも思ったのですが、元の記事と方向性は同じ気がします。

もちろん、これに当てはまらないような、「個人でもすごい仕事ができる!」って人も沢山います。
ただ、「個人で無茶苦茶仕事が出来る人」ってのは、もう上の二つの方法を取るまでもなく、見た瞬間オーラが違うじゃないですか。
私がオーラを感じることができないタイプの「仕事が出来る人」ってのは、そもそも私が求めるスキル以外を持っている人なので、参考にならないですし。
「あれ、見落としてたけどこの人すごいんじゃね?」ってタイプの仕事が出来る人って、上みたいな、関係性の上で成り立っているタイプが多いなぁと思うのです。

ということで、今日はこの二つの話。

1.場の空気を良くする人

とりあえず発言に対して、「なるほど」って空気を形成できる話し方ができない人っていうのは基本的には仕事ができない人なんだろうなぁ、と思います。
話を聞けば聞くほど、こっちの選択肢が「ごますり」か「全否定」か「妄想の世界でぷよぷよをする」くらいしかなくなってくる人って結構いるじゃないですか。
なんか同じようなことぐだぐだ言ってたり、現状を大幅にすっ飛ばして理想論ぶちまけて会議の全部を無為に帰す閉じ方をしてみたり。
そういう人って結構いて、そういう人と仕事をすると、モチベーションがものすごい勢いでゴリゴリ削られていきます。
そういう「周囲のモチベーションを吸収して働く人」っていうのは、どうしても一定以上の仕事が回ってこない人が多いですし、回ってきても「政治戦の道具」としてしか回せていないような感じのタイプね。

別に正論を言うなとか、周囲の機嫌を伺えとかそういうことが言いたいのではなくて、同じ発言でも「あぁ、この人が言うなら間違いないな」っていう空気を出せる人っていますよね。
大体の場合、そういう人は仕事ができます。と言うか、仕事が出来るとみんな知ってるから「この人が言うなら間違いないな」って空気を周囲が形成しているというか。

こういう【場の空気をコントロール出来る人】って、別に周囲を盛り上げるのが上手いとかそういうわけじゃないんですよ。
何か技術的な問題が出た時に、あの人に聞けば解決してくれるだとか、いつも無理難題を言ってるユーザーが、その人が出た時だけちょっと丸くなるとか。
そういう「信頼関係」を築いている人なんですね。
その信頼関係を感じるからこそ、「あ、この人仕事できるんだわ」ってのを感じるわけです。
で、信頼されていることを当人が自覚しているので、発言もどんどん丁寧になっていくんですよ。

信頼されていないって感じている人はどんどん発言が攻撃的になって早口になっちゃいますからね。
私とか。

2.質問された時に、質問者を見ながら話ができる人

ただまぁ、1.だけだと、基本的に「詐欺師っぽい」感じがするんですよね。

ってことでもう一つのポイントが、「話しかけられた時に、相手の方を向ける人」だなぁ、って感じです。
私なんかも結構反省するのですが、忙しい時に話しかけられると、ディスプレイから視線を動かせなかったりするわけです。
ただそれって、相手から有用な情報を引き出すという面に於いては最悪の方法なんですよね。
「視線」とか「身振り」って、かなり沢山の情報を持っています。
相手の方を見ない、っていうのは、その情報を仕入れずに作業しているってことなんですね。
あくまで経験上の話なのですが、そういう人のするアドバイスや、そういう人のする仕事って、どうにも「ユーザーが見えていない」仕事になりがちです。

この「相手を見る」っていうのも、「相手に信頼されたい」とか「相手をコントロールしたい」って意味じゃなくて、「言葉以外の情報も貪欲に求める」って意味の方ね。
言外の情報まで仕入れようとしている人の会話力と言うか、吸収力って半端ないんですよ。
なんかちょっと動いただけで「何? なんか問題起きた?」って気付くアンテナがあるんですよね。
それって、いつも質問者の行動を見たり、動きを見たりしているからできることなんですよ。
いや、すごいですよね、これ。

私もそれを見習って実践しようとして後輩が立った時に「何? 何か問題?」って聞いたら「いえ、トイレです」って言われましたからね。
もう私の観察力の無さたるや、ですよ。

身近な仕事が出来る人の話

ちょっと前に入った後輩がまさにこんな感じで、その人が口を開くと、一瞬で空気が引き締まるんですね。
「この人の話を聞こう」って思わせる話し方をするんです。
で、その人に何か話をしたり議論をしたりする時も、こちらの「言葉の外側の行動」まで観察しているようで、なんかたまに引くくらい的確な返事が来たり。

そういう人って、「単位時間辺りに得られる情報量」が私みたいな一般人比べてずば抜けて高いように見えます。
だから、何度か話をしただけで、「もうこの作業はこの人に任せて大丈夫かな」って思えてくるし、実際任せると本当に大丈夫なので、どんどんステップアップしていくんですよ。
多分あと半年もしないうちに、私なんかより断然出来る人になってる気がしますもん、あの子。5年くらい後輩なのに。

ううん、いつかこうなりたいなぁ、と後輩を見ながら思う日が来るとは思ってなかったです。

(後輩に)伝えたい、この思い 【第一部: まずは「普通」をこなすということ】

サラリーマンの一生は長い

サラリーマンの人生はむちゃくちゃ長いです。
塾とか、そういう「学外のコミュニティ」を探さない限り、学校と言うコミュニティは最大で小学校の6年間しか継続しません。
小学校から大学まで一貫教育だとしても、そのコミュニティは16年ですね。

それに比べて、サラリーマンは、退職や転職などの変化が起きない限りは、40年近く、コミュニティが継続することになります。
いや、もう、気が遠くなるほど長いわけですよ。

学校生活はどんなにつまらなくても、デビューに失敗しても、数年我慢すれば自動的に抜け出すことができます。
ところが、会社生活は、つまらなかったり、デビューに失敗したりしても、「自らの力で脱出しない限りは」抜け出すことができません。

もう一度言いますが、サラリーマンの一生は、長いのですよ。40年もあるので。
IT業界はまだ流動性が高い方ですが、それでも、転職をするのは容易ではありません。
そもそも多くの人は、会社に不満を持っていても転職するだけの行動力を持っておらず、ただただ会社に対して不満を言うだけの人ばかりでしょう。
ですから、デビューに失敗すると、それからの40年が、つまらなくなってしまうのです。

で、デビューに失敗する大きな要因は「一歩目を読み違う」ことが一番多い気がします。

それは【会社が最初に新人からもらうのは「スキル」ではなく「時間」だという事実】の読み間違いですね。

最初は「時間」を会社に捧げることでしかお金をもらえない

まったく残業しなくても、昼休みを含めれば一日のうち9時間くらいは職場に居ますよね。
その9時間が「苦痛」だったらもう会社ってひたすら精神的負荷をかけるシステムになってしまいます。
もちろん、会社としてもそんなシステムにすると生産性が大幅に落ちますし、離職率も高くなりますから、できる限り会社の空間を苦痛じゃないものにしようと努力はしています。

ところが「お金」が絡む以上、どうしても厳格に決めなければならないルールが多く、会社としては「就業中野球しても良いよ」とは言えないわけですね。
もちろん、机にへばりついて残業しまくることを奨励する気も毛頭ないのですが、少なくとも会社としては最初は「拘束時間」に対してしかお金を払えないんですよね。
仕方ないので、就業中の野球は禁止せざるを得ません。少なくとも若手に対しては。(拘束時間に対して対価を支払わないシステムであれば、残業代なんて要らないわけですよ)

まず、会社員に求める最初のスキルは「一定の時間以内に、一定の結果を出す」ことなんですね。
「豆が同じなのに日によって味や濃さ変わるコーヒーが出る喫茶店」とか「注文してから持ってくるまで1時間かかる喫茶店」とか、誰も客は行かないじゃないですか。
少なくとも、「日によって味を変えるコーヒー店」とか「超こだわり、1時間かけて抽出したコーヒー」って感じでセールスポイントに昇華させていないなら、行かないですよね。
そういうお店も、好きな人しかいかないですし。

ところが、会社に入ってすぐの新人は、当たり前ながらその部分に目が向かないわけですよ。
うちの会社は、「超こだわりのコーヒー」を出すお店ではないですし、それを同意していただいて会社に入っているわけです。
にも関わらず、「超こだわりのコーヒー」を出そうとしたり、「インスタントで良くないっすか?」みたいな話をしちゃう人が多いです。
ちょっとズレてるんですよね。
もちろん、その次のステップは人によって違いますよ。
例えば「同じ時間をかけてより美味しいコーヒーを目指す」のか「同じ味のコーヒーをさらに短時間で出す」なのか「同じ味のコーヒーをさらに安価で出す」とか。
更にはコーヒー以外に目を向ける人もいるでしょうし。

でも、ウチはまぁ、そういうお店なので、まずは「とりあえずその辺の喫茶店に出てそうなコーヒー」を出せるようになってほしい、っていう要求からスタートしています。
天性のバリスタだったら、新人のうちにそのくらい簡単にできるようになるかもしれませんが、そうでなければ、まぁ、「じゃあ、勤務時間中にマスターしてよ」って話になるよね。
「来年までにマスターしてくれたらペイできるから」っていう非常にドライな話からスタートしなきゃいけない。

この一歩目を読み間違えている人が多いなぁ、って思います。
結構言葉で伝えているつもりなんですけどね、このへん。

別に残業しなくても良いけど、勤務時間中はちゃんとスキルを会得してね

ということでスキルを会得するのが良いのですけれど、上に書いてある通り、新人が最初に会社に捧げるものは「時間」です。
そして、その時間に見合った金額を会社は支給します。

なので、残業されるとそれはそれで困りますし、別にサービス残業までして会社に奉仕する必要はありません。
前者、ただの残業であれば「そもそも新人の時間なんてそんなに過剰にもらっても処理に困る」わけです。
かといってサービス残業をするっていうのは「会社と従業員の契約違反」でしかありません。

なので当たり前ながら残業はしなくても良いのですけれど。
その分、勤務時間はちゃんと会社に捧げてくださいね。
「時間」を会社に献上するだけでお金がもらえるのはせいぜい一年〜二年程度ですから、その間で一定のスキルを手にしなければなりません。
三年目以降は、会社に提供するのは「知識」であり「技術」であり「スキル」です。つまり、「時間」だけで評価されるんはせいぜい二年なんですね。
その時になって「想定しているスキルに達していない」場合はもらえるお金はほとんど上がらなくなりますし、それこそIT業界であれば「残業」を強いられることになってしまいます。

そうなる前に、ちゃんとスキルを身につけて置かないと、会社で居場所がなくなっちゃうよ。私みたいに。

(後輩に)伝えたい、この思い 【プロローグ】

入社式を終えて一週間

うちも入社式をして、一週間と一日が過ぎました。
まぁ、当たり前ですけど、新人の皆さんはとても大変そうです。

うちの会社はとても小さくて、創業してから結構長い期間が過ぎているのですが、未だに30人の壁を超えることができていません。
このままでは社長が引退したら瓦解すんじゃないか、っていう危機感は私も感じていて、結構努力しているのですが、そもそも何を努力していいかわからない状態で困っています。

それはさておき、うちの会社では、入社式では全員が自己紹介をしてから新人に一言言う、という風習があります。
これ、新人からしたらすごい困ることだと思うんですよね。私は困った。
20人以上いる人が立て続けに全員自己紹介をして、なんかそれっぽいコメントを言っていくわけですよ。
なれないスーツ(まだリクルートスーツ)を着て、なれない会社に来て、必死に自己紹介したら全員が順番に自己紹介していくっていう。
「名前忘れたら殺されるのかな」とか考えるわけですよ。私は考えたよ。

ということで、入社式で新人に言う言葉なんて、新人は翌日には忘れるだろう、と思ってます。
そんなことを覚えていられるほど最初の一日は暇じゃないですし。
もちろん、忘れるとはいっても、それで面白くないことを言ってそれを覚えられたら困るなぁってことで、なるべくちゃんとしたことを新人に言おうとしています。

先輩としての一言を考えてみた

2年目とか3年目の頃は、「新人に一言言う俺、かっこいい」みたいな自己満足に凝り固まった話をしていたのですが、4年目くらいになると良い感じに距離感ができて肩の力が抜けて、気楽に話せるようになりました。
気楽に話すようになってから考えるようになったのは、「どうせ新人は深沢の言ったことなんて覚えていないだろうから、他の人に向けて表明しよう」と、伝えるターゲットをそれとなくシフトさせたことでしょうか。
大体、「もうちょっとなんかやれば化けるのになぁ」って思った後輩に向けた言葉になるように考えています。

今回は、そんな入社式の言葉を順に思い出してみよう、と思ったのです。
とても当たり前なことばかりですが、これから2回か3回に分けて、その辺の話を深沢っぽい感じの言い回しを入れながら書いてみようかなぁ、と思います。

貴方の提案は通りません

提案が通らない人について

仕事柄、色々な提案を受けるのですが、「無難なもの」はまぁさて置いて、「ちょっと奇抜なもの」は多くの場合、受け入れることができません。
結構受け入れることができない理由を丁寧に話しているつもりなのですが、どうにも「俺が考え出した新しいやり方を受け入れられないなんて!」みたいな怒りの感情を出してきます。

そういう人は大体、2つの理由で残念なんですね。

  1. 「自分の考え」ってのを主語にしているので独りよがりな考え方
  2. 「自分の考え」をろくすっぽ考えずに「新しい」って言っちゃう意識の低さ

その辺を懇切丁寧に説明しているのですが、こういうのは説明すればするほど意固地になる傾向があるので、なんというか何度か提案を受けるうちに即答で却下している感じになってしまうことが多いです。
お互い時間の無駄なのでもったいないなぁと思っています。

とりあえず、まずはこの「残念な2つの理由」を掘り下げてみましょう。

1.自分流と独りよがりを勘違いしていませんか

そもそも、「自分らしさ」とか「自分のやり方」にこだわっている人って、あからさまに「浅い」ことが多いです。
自分のやり方で相手を動かすことができない場合、それは「自分流」ではなく「独りよがり」じゃないですか。
その指摘を無視してでも似非自分流を貫く、と言うのは、行動の内容や意見の内容よりも「我を通し続けること」に意義を見出すナルシストにしか見えないんですね。

周囲に迎合することそれ自体が良いとは言いませんが、「分の行動で周囲を動かすのであれば、周囲の心をつかむためにどうすれば良いかを考えなければならないわけです。
それができないから独りよがりなんですよ。

2.それは、本当に新しいんですか

それに、「個人が考える意見」や「個人で行えるチャレンジ」の大半は、既に先人が考えたことがあるはずで、にも関わらず何らかの理由で実現できなかったことです。
だから、その「今まで実現できていない理由」をちゃんと見つめて、自分なりに解決する方法を考えなければ、それは成功しません

でも、運が悪いことに、そういう人は「自分の考えはなんて素晴らしく、新しいんだ!」って思って舞い上がっちゃってるから周囲の意見を聞く余裕がないんですよね。
単純に、面倒くさいんですよね、そういう人。
「自分も昔はそういう時代があったなぁ」って思うことはあれど、かといってそれを許容できるわけでもなく、みたいな。

そもそも、新しいから蹴られるなんて幻想であって、魅力が無いから蹴られているだけなんですから、もっと魅力的なものを考えれば良いでしょう。

何故貴方の意見は通らないか

で、ここからが本論です。
貴方のの意見が通らないのは、のですが、当の本人が「その発見に勝手に感動している」せいで肝心の部分がごっそり抜けているからに過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないです。
まずはそれを頭にたたきつけてください。

大体、失敗する提案は、以下の3パターンに分類されます。

  1. 問題が問題じゃない
  2. 試行錯誤が足りない
  3. 問題の再生産をしているに過ぎない

ここを意識して、適当な例えと一緒に書いてみましょう。

1.問題が問題じゃない

「何か提案してみる」ことを目的にしてしまうと、こういう感じになっちゃう人がかなり多いです。

LEEの20倍カレー片手に「この食べ物はあまりに辛いので、辛くないものにしましょう」と言われたら、「やらなくて良いよ」って言いますよね、みんな。
20倍、と銘打っている以上、辛いのが正解なのであって、辛くないものにしたらそれは商品として成立しなくなってしまうので。
つまり、「ここが問題点なので修正しましょう」って提案しても、その問題点が、ターゲットにとって問題ではない場合があるんですよ。

上記の例とは逆に、明らかに子供向けと思われるカレーを片手に「この食べ物が尋常じゃなく辛いので、辛くないものにしましょう」と提案すれば、ほとんどの場合、OKを出しますよね。
「言われて見ればそうだな、なんで誰も今まで指摘しなかったんだよ。この部署の子供の味覚全員おかしいんじゃね?」って驚くでしょう。

「想定しているターゲット」を無視して、「自分の好み」で話してしまうと、結果としてその提案は意味が無くなってしまうのです。
だから、提案する時には、絶対に、「誰に伝えたいか」を考えないとダメです。
そしてその「誰か」は可能な限り具体的に、言葉にできるターゲットにした方が良いです。

2.試行錯誤が足りない

1,のような部分についてツッコミを入れているていると、そのうち、問題点をちゃんと捉えてくれる人が現れてきます。
でも、まだ、ちょっとズレてる提案をしてくる人が結構いるんですね。

「このカレーは激辛が売りなので練りワサビをつけましょう!!」みたいな。
いやいや、「カレーに求めている辛さ」は「ワサビの辛さ」じゃないでしょ。
別に提案した人がワサビ入りカレーを食べたことあって、それを美味しいと感じたのなら良いですよ。
でも、多分、その提案した人は食べたことないよね。

こういう人は、「自分の中の試行錯誤」が足りないんです。
このレベルの提案は、「試行錯誤に飽きたから」あるいは「試行錯誤をする気が無いから」とりあえず提案しているだけなんですよね。
だから1秒もかからず反論されてしまうし、提案した人は反論に対して有効な反論を準備して来てない。

新しい提案をする時に必要なのは、「自分の中で試行錯誤する」ことなんですよね。
これはいわゆる「アイデア出しの方法」とは対極の方法なのですが、「提案」って言うのは「アイデア」じゃないので、その一本で戦う必要がありますよね。
イデアだけで渡り歩きたいんだったら、1個じゃなくて30個くらい準備してから来なきゃダメでしょう。

ちなみに、ワサビ入りカレーが美味しかったとして、それは「辛さを求めている人たちへの新提案」ではなく「カレーという枠組みを超えた新提案」の方が妥当なので、「もっと辛いカレーを食べたい人」に食べさせたいものではありません。
この部分は、「プレゼン能力が下手ですね」って部分なので、ちょっと今回の話とはズレるので省略しますね。

3.問題の再生産をしているに過ぎない

試行錯誤しすぎるてネタが腐ってしまったような系列ですね。
この部分まで考えているのであれば、あと一歩なんだけどなぁ、と思います。

レトルトカレーはパウチを開けるときにはねて服が汚れたりするので、紙エプロンをつけましょう!」みたいな感じでしょうか。
コスト的にも妥当そう! みたいな。

ただ、「服が汚れるのがイヤ」な利用者は、既にハサミとか包丁を用いて切るという問題解決方法を取っていることが多いです。
と言うことは、この提案は、「ハサミを探して使う手間」を「紙エプロンをつける手間」に切り替えただけで、「面倒さ」が無くなったわけではないんですよね。

もちろん、抜本的な改善としては「カレーがはねない構造を考え出す」ことが大前提でしょうが、世の中そんな発見は簡単にできるものではありません。
ですから、「ほかのアプローチで解決しようとする」というのはとてもすばらしいことだと思います。
ここまで考えて提案してくれる人は、問題点を的確に捉えて、なおかつ、改善方法の実現可能性まで言及して考えているわけですから、とてもすごいなぁ、と思います。
もう一歩が足りないだけで、ほぼ正解じゃないかなぁ、とか。

提案する「だけ」では何も改善しない

残念ながら、今回書いた問題点のの一つ目、「問題点が問題じゃない」提案を何度もしてくる人がかなりの数います。
そういう人の提案は、多くの場合、時間の無駄にしかなりません。
何故か。「何故それが問題じゃないのか」を考えていないからなんですよ。
たまたま食べたカレーが辛かった、と言うだけで「こういうカレーは生クリームなどを添えて辛さを紛らわせるようにするべき」って言ってるに過ぎないんです。

そんな提案はまったく意味が無いし、その提案では何の改善もしません。
「新たに生クリーム入りカレーを作ろう」と言う提案ならば理解できますが、「このカレーに生クリームをぶちこもう」と言うのは議題としておかしいんです。
そしてそういう発言を繰り返している人は、単純に一緒に仕事をしていてわずらわしいので、どこか遠くで適当に吼えていただく以外の仕事を任せられなくなります。

この違いをちゃんと理解して、その違いに目を向けることができる人ならば、次の提案はきっと受け入れやすい提案になりますし、最終的に組織のコアを任されるほど、周囲に好かれる人になるはずです。
というのも、ちゃんと考えて提案を続けている人は、他人の提案についても考えることができる人が多いですから、人が集まりやすいんですね。

ということで。
貴方の提案が通るためにはこんなに多くのハードルがありますが、今後とも、上記を考えながら、是非とも、「提案」してください。
あ、上記を考えてない提案だったら無視するよ!

私は私を育てたいわけではない、という話 -教育が下手な先輩の言い訳-

はてブで気になる記事を見つけました。

辞めるか辞めないか

私はどちらかと言うとこの話に出てくる「先輩」のスタンスでいるのでかなり身につまされる部分もあるのですが、どうにも先輩と元増田さんの間で問題点がズレている気がします。
あ、でも、私はあくまでプログラマなので、その点、細かい部分が違うかもしれませんが。

大体うちの後輩に同じような人がいたので、その時に行ったお説教の話をしようかと思います。

メモには「タイトル」をつけてください。

一番気になった点。

私を含めたメモが下手な人って、「何を書いて良いのか分からない」ことが問題なんですね。
だから意味不明なコトを書いてしまって、読み返しても情報量が少ないことを本能的に理解しているから読み返さないんです。

と言うことで、ワンポイント。
ノートに取るのであれば、頭の二行くらいは空けてメモを取ってください。
メモを取った後、自分の席に戻ってからメモを読み返して、頭二行に「このメモのタイトル」をつけてください。(話を聞いた内容じゃくて、メモの内容だよ!)
どうでしょう? 「先輩に言われたこと」とかそんなタイトルにしかならないのでは?
そんなメモ、後で読み返しても、「あぁ、先輩にボロクソ言われたわー」ってずーんってへこむだけなんです。そんなメモは破り捨てましょう。びりびりぽーい。

これを、「事務手続きのポイント」とか、具体的な作業に紐付けたタイトルをつけられるようなメモの取り方、質問の仕方をしないと、先輩も後輩も時間の無駄なんですね。
で、そういうタイトルをつけたメモを作るには、質問の時点、あるいは相手の話の発端の時点で、「どういうタイトルになるかを考えて、その方向性に話を絞る」ことが求められます。
基本的に先輩も万能ではないので、後輩から来る「つかみどころのない状況説明」を噛み砕いて、「何を説明して良いか」を推測しながら話しているんです。
なので、お互いに「この話のタイトルは何か?」を考えながら話ができるように、ちゃんとお互いに方向性を決めながら話さないといけません。

おそらく、この部分が無いから、先輩側もだんだん「何を話して良いかわからない上に、何回確認しても全然伝わっている感じがしない」ので、どんどん話が脱線していってしまうわけです。
話が脱線するから、出来上がったメモのタイトルが「先輩からの指摘事項」にしかならないんです。
大体、私を含めて、「説教」なんて、言ってて気持ち良くなってるだけなんだから、「説教」にならないようにコントロールしなきゃダメでしょ。
後輩の側から「つまりこういうことですか!?」とか言うようにしましょう、「違う!」とか「そうだ!」とか言われるわけで、そうすればタイトルがつけれるでしょ、メモに。

「何を」頑張るかを定義してください。

コレは以前ブログで書いたことがあるのですが、「頑張る」ってあまりにも雑です。*1
プランが無い頑張りって言うのは無意味だ、ということをまずはご理解ください。

例えばメモが下手なことを指摘された時に、「すいません、次からはちゃんとしたメモが取れるように頑張ります」としか返事ができない場合、それはまだ「頑張ること」としてあげちゃダメです。
「何を頑張るの?」って質問された時にちゃんと答えられるまでは考えてから頑張らないと、本当に無駄になっちゃう。
かといって、「後から読みやすいようにこれからペン字を勉強します!」とか「すばやくメモれるように早稲田式速記術を学びます!」とかもなんか、それができたところでメモは下手なままなので、この部分はかなり考えないと成長しないわけです。
テスト問題みたいに「正解と不正解」が明確にみんなで共有できる問題じゃないものは、先に「正解」を定義しないと、勉強できないのですが、どうにも、その部分で意識が足りていない人が多いです。

簡単に言うと「評価基準」が共有できていない状態で、「頑張る」と言う雑な言葉を使ってしまうと、お互いにとって損ですよ、って話。

例えばメモが下手、と言う指摘に対してすぐに改善案が浮かばなければ*2「どうすれば良いメモになるか」をまずは定義しなければ話は始まりません。
「字が汚くて後から読み返すと読めない」とか「単語の羅列にしかなっていない」など、「メモがダメな理由」を見つけて、その改善方法を考えなければ「良いメモ」にはなりませんよね。
ところが、多くの場合、こういう部分を端折って「頑張る」って言葉で誤魔化しちゃうんですよ。

そりゃあ自分がダメな理由とか考えると憂鬱になるんですけど、そのやり方じゃあ「頑張ってない」って言われちゃうに決まってるじゃないですか。
先輩の頭のなかにある「頑張った結果」と後輩の頭のなかにある「頑張った結果」が違うんですもの。

レビューやチェックは「プレゼンテーションの場」です。

最後に、レビュー、チェックの話。
先輩の言うとおり「完成したと思わなければレビューもチェックもお願いしちゃダメ」です。
レビューやチェックは完成品をプレゼンテーションする場なんですよ。
「俺はこんなに考えてこんな流れでこんなスタンスを取っています。文句があるなら俺よりもっと考えてから文句を言ってください」って言うスタンスを取るわけですね。
ここを見誤ると、ただの「お伺いたて」にしかならないわけで、そうするとチェックって言ってももあら捜しゲームになったり魔女裁判になったりするんです。

この前提で考えた場合、懸念点や疑問点は、「チェック/レビューの場で明かす」のではなく、「それ以前の時点で明かす」ことが求められます。
だから「この部分、ちょっとどうやって良いのかわかんないんですけど」とか「ここは自分はこういう考えで推進しているんですけれど、ちょっと違和感が残ります。考え方から間違ってませんか?」とか、そういう質問や確認は、「事前に」行うんですね。
どうしても全体の方向性がわかんない場合に良く使うのは「草案を作って、こんな方向性で良いかを確認してもらう」ってところでしょうか。
ここで知りたいのは「体裁や段取り」であって「細かい技術」じゃないよ、って言う意味を込めて、「体裁と段取りしか書いてない資料」を提示して質問するわけですね。
そうしないと、先輩は「どこを読んでどこを指摘して欲しいのかわからない」ので、そんな読み方したら指摘も雑にならざるを得ないんですよ。
後輩としては「全部読んで全部指摘してほしい」のかもしれないのですが、それってつまり「先輩が代わりに書いてよ」って言ってるのと同じってこと、理解してます?

ちなみに、そういう質問を特に理由も無く「いや、そういう質問はレビューの場でしようよ」とか言っちゃう人はダメな先輩です。蹴り飛ばしましょう。
理由がある場合は「レビューの定義」なり「チェックの定義」なりを押さえる必要がありますね。

これらは「自分で定義する」ことができなければ意味がありません。

これらを全部先輩が説明すれば良いじゃん、と思う人も多いかもしれません。と言うか、私も思っていました。
自分が先輩になったらもっとちゃんと教えよう、と、私が教えるときにはかなり徹底して「自分の意図」や「指摘内容の具体的な定義」をトコトン説明しました。
でも、それだとうまくいかなかったなぁ、と言うのが最近の印象です。

私も中小企業勤務なのですが、中小企業に必要なのは「上が決めたルールで働く人」ではなく、「自分でルールを作り上げる人」なんですね。
上が決めたルールに乗っかるだけなんて、中小企業の場合はとてつもなく危険。
「上が間違えたら反省する暇も無くつぶれる」ワケですから、そのリスクヘッジも兼ねて、「みんなでルールを作り上げる」ことが求められるんですよ。
# 大企業だと、トップの判断ミスが発生した場合でもトップが辞任してから方針転換するだけで、会社が潰れるってなかなか無いじゃないですか。
# もちろん、トップが判断ミスを握りつぶして秘匿してたら某社のように潰れるんですけど。

上に書いてあるようなノウハウやら「先輩の言葉の裏の意図」をそのまま伝えてしまうと、その後輩は「私のルールで動く人」にしかならず、それは悪い意味で「私の劣化コピー」を作ってしまうんです。
ここまで説明してしまうと、相手は「考えること」ができなくて、「私の考えとの答え合わせ」しかできないじゃないですか。
考えることができないと戦えない現場で、考えてもらうことを前提とした教育にならないんですよね。
最近は反省して、なるべく上にあるようなことは言わないようにしていますが、それはそれで元増田の方みたいな感じになってしまうのかなぁ、といろいろと悩んでおります。

いずれにせよ、元増田の方のお話からは、先輩は「ルールは何か」を考えることを求め続けている印象を受けました。

ということで、無理ならやめれば良いと思います。

元増田の方は、上にあるような部分を「今後も考え続ける」ことが求められる仕事なのではないかと思います。
それが向いていない、と思うのであれば、辞めたほうが賢明じゃないかなぁ、と思います。
今後も上のような内容を「考え続ける」ことが求められ、さらに「具体的なアウトプットの形にする」ことが求められる仕事なのでは。
それは、元増田の方にはいささか荷が重いように感じるのですが。

*1:努力しないでください: http://d.hatena.ne.jp/fkatsya/20120603/1338707476

*2:というか浮かばないからメモが下手なんだけd