「コミュニケーション能力を持っている人が欲しいのですが」「はぁ?」

なんとなく、最近モヤモヤしていることなので、ちょっと気持ちの整理も兼ねて書いてみます。
――と、言いながら、やっぱりもやもやしすぎる話題なのか、書き上げるのに3週間以上かかりました……
コミュ力関係の記事とか読んでもやもやしたのでトラックバックしようと思ったけど既にすっげー時間過ぎてんの。ひどい。

コミュニケーション能力ってなんぞや?

コミュニケーション能力なんて言葉は、多分使う側も「良くわかんないけどとりあえず使ってる」感じだと思うんですね。
使う側が良くわかってない理由は、「その言葉の意味する幅が広い」のもありますが、それ以上に、「その言葉の意味を話者の都合の良いキーワードとして使っている」部分が大きいでしょう。
つまり、その裏側にあるのは、「俺の都合の良いように動け」だったり「俺の気持ちを察しろ」だったり、そういう自分本位の考え方で間違いないかと思います。

このままでは「考えるだけ無駄です」という結論で決着がついてしまうのですが、それでは面白く無いので、もう少し考えてみました。
ということで、今回は、この「俺の気持ちを察しろよ」「俺の都合の良いように動けよ」の二つを、仕事の視点で分解してみよう、という試みです。

コミュニケーション能力を分解する

私がこの言葉を使う時に察して欲しい「気持ち」と「都合」は以下の二つになります。

一つ目は、周囲の人間関係を円滑にして欲しい、ということですね。
「現場メンバーやら職場メンバーやらにヒアリングしたけどお前かなり嫌われてるぞ」って本当は言いたいけど言えないので、婉曲に表現しているわけです。
二つ目は、目的を遂行するために他人をうまく使って欲しい、という感じでしょうか。
「お前のチームの成果が全然上がってない上にお前のやってることが周囲と噛み合ってないからお前居ないほうが進捗早そうだぞ」って本当は言いたいけど言えないので、婉曲に表現しているわけです。

良く耳にするコミュ力は、文脈的には前者の意味で使っている印象ですね。
これは、ちょっと勘違いしないで欲しいのですけれど、実際の仕事の現場で「人間関係を円滑に!」って言うのを重要視している人は、かなり少ないと思うんですよ。
いや、もちろん、私だって、話していてイライラする人とは仕事はしたくないですし、話していて心地よい人と仕事をしたいです。
ただ、それは個人の好みに大きく依存しますし、その是正を求めたところで、直せるものではないじゃないですか。
というか、直せたら苦労しないでしょ、誰も。
これは、いわゆる面接で落とす時に使う「ご縁が無かった」って言葉で片付けるべき問題に過ぎないし、縁が無い所で延々作業させるのは全員にとってメリットが無いので、さっさと引き上げさせるとか切り捨てるとか他のチームに回すとかするしかない問題だと思うんです。

ということで、仕事の上で本当に重要なのは二つ目のスキルなんですよね。
今回のお話は、こっちの話です。

新人に求めたい、二つのコミュニケーション能力の定義

まずは、この手のライフハックを読まないと死んじゃう「学生〜若手」を対象にして考えて見ましょう。
つまり、仕事環境や仕事そのものに不慣れな人、をターゲットとした場合ですね。
このとき、「技術としてのコミュニケーション能力」として、以下の二つを求めるようにしています。

  1. 「自分が分からないこと」を他人と共有できるスキル
  2. 「相手の質問」に対して「答えを出す」スキル

もちろん、これらも一朝一夕でできるものではないのですが、この二つは、ある程度指標化できるスキルだと思うのでチョイスしてみました。
簡単に言うとコミュニケーションにかかる「コストパフォーマンス」を重要視しています。
10分以上話をしているのに結論が出ない会話、というのは、仕事の場所では苦痛です。仕事以外だったらそういう会話は大好きなのですが。

ということで、この二つのスキルは、「持っていたら会話時間が短くて済む」と言う、若手は私のようなウザい上司と顔を合わせる時間が短くなるし、私も自分の仕事に没頭できるのでWin-Winな関係を築くためにも重要なのものでしょう。

自分が分からないことを共有する

一つ目について。
例えば、私は子供の頃からゲームが好きで、学校でもゲームの話ばっかりしてました。
「あのボスが強くてさぁ、勝てないんだよー」って感じで。
自分が分からないことを共有する、とは、「【ボスの強さ】をどうやって友人と共有するか」にスタートして、「ボスの攻略法を教えてもらう」ことに近いです。

ボスの攻略法を教えてもらうわけですから、この話の想定される相手は、「既にそのボスを倒した人」ですね。
「既にそのボスを倒した人」にとって、そのボスが楽勝だったのか強敵だったのかにもよりますが、いずれにせよ、よほど印象に残っていない限り、個々のボスの強さって、記憶に残ってないんですよね。
その人に「どういう情報を伝えれば強さを感じて(思い出して)もらえるか?」を考えて話をするのが、ここでのポイントです。

伝えるために必要な情報は二つです。
一つが「現状」、そしてもう一つが「展望」ですね。

現状って言うのは、「敵のHPが高くて長期戦になると勝てない」とか「ボスが途中で使う大技で基本全滅する」とか言う、敵の強さ情報と、今の主人公パーティーのレベルとか、HPとか、装備とかの自分の情報のことです。
そして展望って言うのは、「ボスを倒すコツが知りたい」とか、「このボスを倒すに当たっての適正レベル」とか、「レベル稼ぎポイントを知りたい」とか。
要は、現状をクリアするために欲しい情報のことですね。

現状(今、分からないこと)をちゃんと伝えて、それを共有して、そこで初めて、その疑問に答えることができるんです。
ただ単純に「いや、あのベヒーモスのメテオマジで強くて意味わかんないんですけど」って言われても、言われた側が相当歩み寄らないと理解できないですし、お互いに多大なる時間の無駄になっちゃいます。
「装備は?」とか「レベルは?」とか「リレイズ覚えてる?」とかそういう現状を逐一質問しないといけないし、その質問が全部終わっても、「とりあえずお金稼ぎに行く?」とか「今すぐ倒したいならバグ技とかあるけど?」とか。
どうやって倒したいか、って言うポイントまで推測しないといけなくなります。

相手と「共有」するためには、ありふれた陳腐な言葉になりますが、「ストーリーを作る」ことがとっても重要なんですね。
開幕と同時にヒロインが死んで主人公が号泣するストーリーって言うのは、一緒に泣けないワケですよ。
主人公と一緒に泣くためには、たくさんの前情報が必要なんですよね。
この情報をちゃんと提示できるかどうか? は、一緒に仕事をしながら、常に監視するようにしています。

質問に答える

二つ目は、まぁ、質問に答えてね、って話ですね。
国語の読解力のテスト的なものかもしれませんが、どうにも、これが結構難しいようです。

ウチはIT関係の中小企業なので、情報系の人が面接に来ることが多いです。
ということで、面接で、こんな感じの質問をしています。

「今の時代って、そろそろパソコンからタブレットとかスマホとかに移行しつつある時代のように感じるんですね。実際、情報系の人たちでパソコンを持っていない人は貴方の周囲にいましたか?」

これ、わざと回りくどく聞いていますが、質問の内容を一言で言うと、「パソコンを持ってない人は周りに居ますか?」という一言に集約されます。
でもこれだと二重否定になるので、さらに分かりやすく質問するなら「周囲の人はみんなパソコンを持ってました?」という言い方のほうが良いですね。

つまり、この質問は、どんなに回りくどくても、「いる」「いない」「わからない」の三択に集約されます。

ところが、こんな風に答えてくる人がいるんですね。
「確かに最近はタブレットなどのデバイスを使っている人が多いですが、やはり入力しやすさの観点からはパソコンが一番良いですし、プログラム等もやりやすいので、私はパソコンを持っています」
うーん……?
この回答では、「自分はパソコンを持っている」と答えているだけに過ぎず、周囲に対しての言及が無いです。
つまり、私がしている質問の内容である「周囲にパソコンを持っていない人がいるか?」の答えにはなっていないんですね。

この部分で会話が行き違ってしまうと、報告を受けた場合や相談を受けた場合に、「こっちが聞きたいこと」を聞き出すことがすごい困難になってしまいます。

このように文字に起こすと、質問の部分に自分で赤線を引いてみる、などをすれば結構分かりますし、国語のテストでも似たような問題があるので、「文章題として」作れば解ける人は結構多いと思います。
しかし、それを会話に応用するためには、「どこが質問か?」をリアルタイムで注視しないといけないため、慣れるまではかなりの集中力が必要でしょう。
そして、その手の集中力が要求されている「面接」の場で、適切な回答を準備出来ない人、というのは、やはり、難しいかなぁ、と思います。

このスキルは、相手の言葉を読み取ろうとする集中力が一番のポイントになるので、ひたすら「実のある会話」ってやつを繰り返すことでしか会得できないかと思います。
というのも、会話する際に「今から質問します!」って宣言してから質問する人はそうそう居ないわけですから、「あ、今この人は質問をしているな?」と判断する訓練が最初のポイントですよね。
それができたら、次は、「何が聞きたいんだろう?」と考えるのが二つ目のポイント。
この二つに注目しなければならない以上、最初のうちはレスポンスが遅いと思います。
でも、九九と同じで、慣れればどんどん応答は速くなるんですね。
なので、レスポンスが遅い人、というのは、その「訓練」が圧倒的に不足しているのだと思います。
もちろん、慣れても九九が遅い人がいるように、訓練してもこれができない人っていうのはいるのは理解していますが、であれば、「できない上でどうするか?」を考えないといけないんですよね。
例えば「言ってる事がわからないのでメールで質問してきて」って言う、とか。

神の領域に至るコミュニケーション能力

ところで、「バリバリに仕事してる人」に求められるコミュニケーション能力は上のものとはかなり違いますね。
最終的には「目的達成のためにいかに相手をコントロールするか」の一言に集約されますし、上に書いてあるスキルは「最低限求められるスキル」なのですが。

例えば、コンサルタントのお仕事は、「相手を煽ってでも、欲しい情報を入手する」したたかさが必要になります。
ITコンサルはどうしてもシステム担当者や上層部とお話する機会が多く、「ユーザー」にたどり着けない場合があります。
その場合に必要なのは「いち早くユーザーの声をつかむこと」ですから、うまくコントロールして、ユーザーを会議の場に引っ張らなければならないんですよね。
プロジェクトマネージャーならば、「開発側の言い分をオブラートに包んでユーザーに伝えて、相手に丸呑みさせる交渉術」なんかが必要ですよね。
「開発できる/できない」の技術的、時間的な制約をいかにわかりやすく伝えるか、と言うのは、非常に重要なスキルでしょう。
第一線で活躍するような営業であれば、「的確に相手の不満を解消する」とか「売りたいものをどのような方法を取ってでも売る」、「ひたすら相手の話を聞く」って言うのがコミュニケーション能力ですね。

ただ、この辺りは、ひたすらその鍛錬を年単位で繰り返している、「コミュニケーションの達人」が会得しとけば良い話です。
その辺のメンタリストとかに任せておくしか方法は無いんですね。

コミュニケーション能力は「スキル」なので、あるラインまでは努力して時間をかければ会得することができると同時に、どんなに努力しても得ることができない部分もあります。
スポーツに置き換えればとても分かりやすいのですが、毎日走ってれば足は速くなるかもしれません。
でも、100m24秒の人が二十歳になってから毎日走ったところで100mを10秒で走れる日は来ないんです。
既に体力が衰えてきていて、かつ、既に走り方のクセもついている。
そんな人がどんなに本を読んで毎日練習しても、100m10秒はムリでしょう。15秒くらいはできるかもしれませんが。
今から雑誌で求められているようなコミュニケーション能力を会得するには、20代ではどう考えても遅いんです。
生半可な精神力では、10年やそこらで得られるものでもないでしょう。

一応、最初に提示した二つのスキルについても、「20歳くらいからなら3年以内に会得できるかなぁ」、という観点で書いたのですが、できない人もいるかもしれませんしね。

なんでコミュニケーション能力が捻じ曲がるのだろう

さて、ここまででコミュニケーション能力について分解してみたのですが。
どうしても、根源的な疑問があるんですよ。
「人間関係を円滑にするためのコミュニケーション能力」って言うのがあまりに強く求められすぎるんです。
私の観測範囲が狭いだけなのか、様々な文脈で、「会得せねばならないもの」として描かれているように感じます。

なんであんな宗教的なまでに信奉されているのか、って言うのは、私がIT関係の仕事をしていることを差し引いても、どうにも納得がいかないんですよ。
本来、仕事の場で言われる「コミュニケーション能力」は「仕事できるかを評価する基準」としての能力でしかないです。
どうにも、私が目にする記事は「仕事できるかを評価する基準」として、「人間関係を円滑にできること」が恐ろしくでかい比重で描かれている印象を受けるのです。

そりゃ、私だって、なんかもう話しててうぜぇなー、って人はいくらでもいますよ。
それとは逆に、話してて気楽だけど、コイツの言ってることまったく意味わかんねぇなー、って人も。
前者は、一緒に仕事していると楽だけど、定時過ぎたらできることなら一切関わりたくないタイプで、後者は、一緒に仕事はしたくないけど、土日に会っても苦痛にはならないタイプですね。

ただ、私がやっているのは仕事なんですよ。
仕事って言うフィールドでは、私はその感情を限界まで排除しないといけない。
評価に携わる以上、そこを譲ってしまうと、「自分が一緒に居て楽な人」で周囲を固めることになってしまう。
でも、「今度一緒に飲みに行こうぜ」、って誘うのは間違いなく後者なんですよね。

結果として、周囲に「仕事ができないくせに人当たりの良い人のほうが評価が高い」と思われてしまう、と言うことなのかな。
これはかなり私としても不本意なので、ことあるごとに「でもコイツの評価は低いよ?」と言っていますが、周囲からは「またじゃれあってるわー」としか思われてないのかもしれません。
こういう、私みたいなダメな先輩の迂闊な言動が今の「コミュニケーション能力重視しすぎて意味わかんない状況」になっているのであれば、ちょっと申し訳ないなぁ、と思います。

結論。

コミュニケーション能力は飲みニケーション能力じゃないよ、という話でした。